〜幼少期編〜島根秀明の人生を振り返る

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私は、1972年10月1日に神奈川県川崎市中原区で生まれました。

今も同じ川崎市中原区でフォトグラファーの仕事をしています。

やはり生まれ育った場所というのは、思い出が沢山ありますし、近所を散歩しても小さい頃のことが、ふと蘇ってきたりします。

今日は、私の幼少期の思い出について思いつくままに書いてみたいと思います。

父親のこと

以前どこかのインタビューかなにかでも話しましたが、私の父親は工場勤務の職人でした。

詳しいことはほとんど知らないのですが、川崎製鉄関係の仕事か、川崎製鉄で使っている機械の部品を作っている下請けの工場だったかもしれません。

父はとても寡黙な人だったので、家でもあまり喋りませんでしたし、仕事のことなんて全く話してくれませんでした。

でも、僕はそんな父が好きでしたし尊敬していました。

だから、高校を出てから父のようになりたくて町工場に就職しました。

父がすすめてくれたということもあります。

母親のこと

母親はとても優しい人で一人っ子だったこともあって、本当に可愛がってくれました。

母の実家が、当時の家の近所にあってよく一緒に遊びに行きました。

普通の日の日中は幼稚園とか小学校に行くわけですが、母が実家に行っていることは分かっていましたから、自分の家ではなく母の実家に帰っていましたね(笑)

祖父のこと

母の父親、僕の祖父ですが、多分まだ60歳にはなっていなかったと思いますが、趣味で写真をやっていていつもカメラを持ち歩いていました。

仕事はやっていなかったと思うんですが、多分その頃は55歳で定年だったと思うので、定年後の楽しみが写真だったのではないでしょうか。

祖父の家に行くと、祖父がカメラをかかえて撮ってくれるわけですが、僕は最初それが何なのか全くわかりませんでした。

祖父の家にはいろんな写真が飾ってあって、僕の知らない人やどこかの風景や、そんなものばかりだったのですが、ある日僕の写真が飾ってあったんです。

びっくりしましたね。ニコニコ笑って手を上げている自分の写真がそこにあり、自分の過去の画像が、そのまま写真として残っていたんです。

こんなことがあって、カメラが何か、写真がなにか、が分かったんです。

写真のこと

その後、僕は祖父の被写体になるよりは、自分でカメラを使って写真を取ることが楽しくなりました。

祖父はたくさんあるカメラの中から、僕専用にカメラを貸してくれて、色んなものを撮りました。

それに、祖父の家には暗室もあったので、一緒に現像も体験させてくれました。

あの酸っぱいような臭いは懐かしいです。

今はデジカメになっていますから、現像作業なんてそもそもありませんしね(笑)

現像すると、自分がカメラで撮った画像が印画紙の上に現れてくるわけですが、祖父がどれもこれも、全部褒めてくれるのでとても嬉しかったのを覚えています。

当時はもうカラー写真になっていましたから、空の青さや、草木の緑や、人の顔が、写真の撮り方によって色々と違ってくることが分かりました。

カメラの操作方法は、祖父から基本的なことは聞いていましたが、それ以外のことは試行錯誤というかトライアンドエラーというか、子供なりにいろいろと工夫していたんだろうと思います。

幼少期に写真と出会ったことが今の自分の原点

自分がいまフォトグラファーの仕事をすることは幼少期に決まっていたんだと思います。

父も母も祖父も、感謝してもしきれないくらいに大切なものを僕に残してくれたと思っています。

 

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